【娘と一緒に安産祈願へ行くことになって感じたこと】
娘から、
「一緒に安産祈願行こう」
と言われたとき、
なんとも言えない気持ちになりました。
うれしいような、
不思議なような。
娘の妊娠を見守ってきましたが、改めて”親になるんだな”と感じる瞬間でもありました。
【40年前の自分を思い出す】
安産祈願という言葉を聞くと、自然と40年前のことを思い出します。
当時の自分も、無事に生まれてほしいという気持ちでお参りに行っていました。
今ほど情報もなく、何もかも手探りだった時代です。
それでも、願う気持ちだけは今と変わらなかったように思います。
【今は”娘と一緒に行く側”になった】
あの頃は自分が妊婦でしたが、
今は娘と一緒に行く立場になっています。
時間が流れたことを、こういう場面で改めて感じます。
娘はまだどこか子どものような感覚もありますが、その娘が母親になろうとしている。
その姿を見ると、不思議な気持ちになります。
【一緒に行けることがうれしい】
安産祈願は短い時間かもしれません。
それでも、一緒に行こうと思ってくれたことがうれしく感じました。
親として何か特別なことをするわけではなくても、こうして同じ時間を過ごせることに意味があるように思います。
【昔と今で変わったこと】
40年前は、
今ほど安産祈願について調べる手段もありませんでした。
祖母・母から言い伝えられ、当たり前のように”中山さん(大本山 中山寺)に参っていました。
安産祈願で授かった腹帯には性別が書かれており、
「次に授かる子とは逆の性別になる」というジンクスがあります。
腹帯に性別が書かれている理由は、無事に出産を終えた妊婦さんが、お礼参りの際に新しいさらし(腹帯)を納めます。
その際に、生まれた赤ちゃんの「干支」と「性別」を僧侶が書き入れ、次の妊婦さんへとお授けする習わしです。
また、神社やお寺によっては、腹帯の「色」が赤なら女の子、白なら男の子という言い伝えを持つところもあります。
これは古くから伝わる伝統や縁起担ぎの一つであり、医学的な性別判断とは異なります。
あくまでお産の無事を願い、ジンクスを楽しむためのものです。
”無事に生まれてほしい”という願いは今も昔も変わらないのだと思います。
【親になる準備の時間】
安産祈願は、ただのお参りではなく、親になる準備の時間のひとつなのかもしれません。
出産が近づいていることを感じながら、少しずつ気持ちも整っていくように思います。
周りの家族にとっても、節目になる時間なのだと感じます。
【見守る立場として願うこと】
今は、見守る側としてできることを考えるようになりました。
何よりも、無事にその日を迎えてほしい。
その気持ちが一番大きいように思います。
【これから迎える日に向けて】
安産祈願へ一緒に行くことで、出産までの時間がさらに現実的に感じられるようになりました。
これから先も、いろいろな準備や変化があると思います。
そのひとつひとつを大切にしながら、無事に迎えられることを願っています。


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